「むさし野は 月のいるべき峯もなし 尾花が末に かかるしら雲」
月が沈む山が見えないほど 広大な武蔵野には、一面 薄の原がひろがっている・・・ 武蔵野の地勢と自然を詠んだ、続古今集におさめられている和歌。弊店手提げ袋のモチーフにも使用しています。
11月 秋たけなわ。お月見の時期は過ぎたものの、すすきはまだまだ見頃(?)です。高い空のもと、収穫の済んだ田の脇や河原でかすかな風にも揺られる様には、ゆるやかに過ぎゆく秋の好日を実感します。
日和田山 と すすき
この時季、茶の行事の一つに「口切り」があります。先日、昨年国宝に指定されることが決定した久能山東照宮で執り行なわれた「口切りの儀」に参列する機会を得ました。
これは「駿府お茶壷道中」と呼ばれる行事で、新茶期にお茶を詰められ井川大日峠のお茶蔵で保管されたお茶壷が籠に乗せられ、東照宮本殿まで運ばれ、「献茶奉告祭」と「口切りの儀」を執り行なうというもの。「晩年を駿府城で過ごした徳川家康が、春に採れた安部茶を御茶壷屋敷の蔵で保管し、香りが増す晩秋になってから城に運ばせ、賞味した」という言い伝えがその由来です。
(駿府本山お茶まつり委員会資料より)
東照宮は50年に一度の改修工事が済んだばかりで、漆塗りの光沢も鮮やかな本殿。ここに家康公が祭られています。お茶奉行や腰元に扮した華やかな行列とともに、籠に乗せられたお茶壷が到着。久能山東照宮 落合宮司を前に、静岡市長をはじめとする来賓と茶業関係者が見守る中、厳かに儀式が始まります。紋服姿の静山流家元が志戸呂焼のお茶壷に貼られた和紙の封印に刃をいれ、封を切ります。隙間なく壷に詰められた茶の中から和紙の袋が現れ、三方の上へ。全部で5袋が載せられました。茶袋の封が切られ、となりの三方に広げられた真っ白な和紙の上に茶が盛られ始めます。全ての撮影機材と参列者全員の視線が集中する中、濃緑色をした剣先の長い茶が袋からすべり降ります。茶はすこしずつ、少しずつ、しずかに、静かに和紙に広がり始めました。富士の姿を描くように盛られた茶は神主に捧げられ、神前に供えられます。お茶壷には茶袋を衛っていた茶が再度詰められ、新たに封印を施され、元の位置に戻されました。厳かに儀式が終了、一時間弱の「口切りの儀」でした。
別室にて、本山茶研究会の皆さんが淹れてくれた茶を一服。お茶壷に詰められたものと同じ茶だと思われます。新茶期に再製され、冷涼な山中に保管された茶は鮮やかな火入れ香をまとっていました。茶殻を観る限り、被せ処理はされていないようです。それにもかかわらずアミノ酸成分に満ちたうま味を感じます。新茶期の荒々しさが影を潜め、茶の味が感じやすくなっているのでしょう。これが熟成の効能なのかもしれません。
となりの部屋では多数の親子連れが同じ茶を楽しんでいました。研究会のメンバーが指導し、温度計やタイマーを使いながらの淹れ方教室。募集と同時に定員が一杯になるそうです。参加者の真剣な眼差し、弾む家族の会話。「駿府お茶壷道中」は単なる儀式だけではなく、消費者参加イベントでもありました。
茶産地があり、文化財がある。そして両者を結びつける歴史が存在する。それらを融合させ具体的な形にする事の大切さ。それが及ぼす影響の素晴らしさ。今回は儀式への参列だけではなく 多くを学ぶことができ、茶業界に身を置く一人として、有意義な体験をさせていただきました。